はじめまして。当ブログに訪問してくださり、ありがとうございます。
シングルマザーのとっこと申します。
このブログを運営している理由は、
「シングルマザーとして仕事をするのがとても大変だと私が思ったから。」
です。
自分がそう思うってことは、他にも同じ人がいるんじゃないのかな?と思いまして。
少しでもお役に立てばればよいなと思ってブログを書き始めました。
それとですね、私悔しかったんです。
シングルマザーになった時に「シングルマザーだから決まった職業でしか働けない」って決めつけられたことが。
だから、「何があってもポジティブに変換して進めるように」って思って、ポジママというサイト名にしました。
シングルマザーでも、どんな人でも、仕事や働き方を選びたいし、選んで欲しい!
という気持ちを込めています。
では、簡単な自己紹介から、進めていきますね。
- 年齢:アラフォー
- 現在の仕事:正社員(建築系技術職)
- シングルマザーになったのはいつ?:子どもが生後2か月の時
- シングルマザーになってからの転職回数:6回以上
- 最短在職期間:2か月
転職回数多いですよね・・・。
それでも今でも何とかやっていけていますし、年収もきちんとアップしています。
今の会社は素晴らしいところです!!!と言いたいところですが。
持ち帰って夜中に仕事している状態なので、心身共にへとへとです。
なんなら、残業がとんでもない時間になっていて、ふと気づいたときには「会社としてヤバイんじゃ!?」と思う時もあります。
でも、私の中で譲れない条件やある種の働きやすさというものは確保していますので、今はこの状態でもベストだと思っています。
ちなみに、建築業界には未経験で飛び込んで、今は設計もやっています。
業界は3年目になりました。
「そんなに就職できるなんて、もともと経歴がすごいんでしょ?」と言われることもありますが、まったくそんなことはありません。
無資格・未経験で飛び込みまくっています。
何が言いたいかと言いますとですね。
シングルマザーでも、転職回数多くても、短期転職歴があっても、解雇歴があっても、未経験でも、正社員で頑張っている人がここにいますよ。
ってことです。
少しでも希望を持ってもらえたらいいな、という気持ちです。
そんな私の転職遍歴をご紹介します。
私の転職遍歴
まずは、離婚当時の私のステータスです。
- 年齢:32歳
- 職業:無職
- 子ども:0歳
- 資格:自動車免許のみ
1か所目:「シングルマザーは介護職」を信じて進む
とにかく仕事に就きたい!と思い立って、まず役所に相談に行きました。
そこで、「シングルマザーだから介護職」と言われて介護職を勧められました。
でもですね。
預け先がないから紹介するのは無理だよと言われてしまったんです。
保育園も無職では入れないから、まずは就職活動してね。だけど保育園入れなかったら働けないよ。
って感じです。
え・・・
これ、相談する意味あるの・・・?
って思いまして。
だから、すぐさま自分で行動することにしました。
でも、何すれば良いかわからなかったので、子ども抱っこして、履歴書もって、近所の職員募集中の介護施設を訪ねて回りました。
今思うと後先考えない行動ですね・・・。
でも、その時はそれしか方法が思い浮かばなかったんです。
もちろん、すげなく断られることの方が多かったですし、常識を問われることもありました。
それでも何件か訪ねるうちに託児所付きの施設を紹介してもらえることになり、
無事パートで働き始めることができました。
2か所目:2.咳喘息発症から、就職活動へ
働きながらスクールへ行って、介護職員初任者研修も修了して、介護職として突き進む気まんまんでした。
が。
施設で働いているうちに咳喘息を発症して、2回ほどろっ骨を疲労骨折してしまいました。
原因はホコリです。
介護施設って仕事は毎日ハードですし、施設も休みがないことが多いので(ここは日曜定休でしたが)、掃除が行き届いていないところもたくさんあるんです。
この施設も一応お掃除専門の方がいたのですが、ビル付きのエアコンは業者に依頼しないといけなくて一度も掃除をしたことがなかったそうです。
だから、エアコンからよく10センチぐらいのホコリの塊がぼとぼと落ちてきていました。
そのまま働いていたのですが、ある時ニュースで「ろっ骨を折る重傷・・・・」というフレーズを聞いて、
あ、ろっ骨折るのって重傷だったんだ・・・
って改めて人の口からきいて、なんとなく納得するような、そんな感覚になりました。
確かにろっ骨折っても働いていましたし、働けますけど。
咳が止まらない限り、3回・4回とまた折れるんだろうなーと。
やっと自分の身体の心配をしたんですね。
そこでこの施設は辞めて、それでも介護自体は好きだったので他の施設でパートとして働いていましたが。
この時34歳。朝7:30~夜7時まで働いて、月収16万円。ボーナス2万円。週休1.5日。祝祭日出勤。
金銭的にも厳しく、将来を見越して「35歳までに正社員になりたい」という気持ちもあったので、就職活動を始めることにしました。
あとは、子どもと過ごす時間がない事も辛かったです。
それとですね。
私は役所の方の「シングルマザーだから介護職」という言葉にとらわれていたと気づきまして。
「シングルマザーだから介護職」にこだわることなく、他の仕事にチャレンジしてみてもいいんじゃないか?
と思った事もきっかけになりました。
悔しいと思ったはずなのに、自分自身がとらわれていたんですね。
3か所目:事務職として就職からの会社都合退職
新聞の折り込み求人広告から応募して、営業事務として就職出来ました。
でも、ココがまた解雇が当たり前のワンマン社長が君臨するブラック企業でして。
いろいろありまして、8カ月で会社都合退職。またの名を解雇。
35歳で再び無職になりました。
どんな会社だったのか興味がおありでしたら、こちらの記事に書いてあります。
この職場のおかげで、就職活動はきちんとしなくてはならないと言う気持ちが芽生えはじめました。
仕事に就きたいと言う気持ちが先行して、「入れるならどこでもよい」という気持ちで転職活動していました。
それがダメだと、はじめて理解したのがこの時です。
会社都合退職なので失業保険もすぐ出ますし、短期バイトをしつつ就職活動しました。
就職活動したんですけど、どうにもなんだか、どう働けばよいのか見失っていまして。
働いていた時は一生懸命でそんなこと感じている余裕がなかったのですが、やっぱり精神的に参っていた部分はあったようでして。
社長という職業に対して拒否反応のような感じで、なかなか面接に行っても社長が出てくると尻込みするような状態でした。
4か所目:転職モテキ到来(またの名をブラックホイホイ)
解雇と言いましたが、私が仕事をしなかったとか、不備があったとかではないです。
その日の内にお客様と社内の方から戻ってきてほしいと打診がありましたし、なぜか社長からも私を褒める言葉?があったそうです。
なので、解雇の事実はまったく就職活動に影響はしませんでした。
むしろ、ワンマン社長の下でどのように仕事をしたかにフォーカスしたところ。
転職モテキが到来。
スカウトが多い時は1日100通ぐらい来ていました。
今思うとですが…。
「ワンマン社長の下でも頑張れるガッツのある人」という需要は、ブラック企業にこそあるんですよね。
そんな事にも気付かなかった私は、近場の事務職だ!ということで就職。
案の定、次の職場もワンマン社長。しかも汚フィスでした。
面接した応接はキレイだったのですが。
働く場所は壁も机もホコリをまとった、汚フィス。
1日働いただけで全身真っ赤なうえに咳が止まらず、掃除をしてもしても改善されず、2か月で退職。
他にもパソコンの貸与が無かったり、残業を強要(保育園のお迎えも終わるまで行かせない)等あったので、私個人としては一番嫌な会社でした。
私の前の担当の方が深夜まで残業していたので、それと同様にすべきという考えのもと、残業を強要されていました。
でも、お迎えには絶対行かなくちゃいけないので、必死で仕事をして、間に合わせてました!!!
仕事は間に合っていても、毎日毎日、「前の担当と同じく深夜まで残業すべき」と言われるのでホトホト困りました。
5か所目:建築系事務職として就職
4か所目の短期転職も理解していただければ全く問題なく、建築系事務職として就職しました。
ここでCADを覚えたのですが、この時の手取りが15万円前後。
正直、月だけで見れば介護パートの方がもらえてる状況でした。
ボーナスを足しても介護パート時代の年収よりちょっと多いかな?という感じです。
この会社の事務職は昇給の頭打ちがあって、最高でも手取り16万円程度と知ったのち、スキルをもって転職することを決意。
そして、再度転職活動を再開しました。この時、38歳です。
6か所目:建築系技術職として就職
年齢的に厳しいですし、CADはできますが資格はなし。
もう無理かも・・・
と思っていたのですが、無事転職。
この時は、さすがに今までの経験をもとにして、「残業は保育園や学童のお迎え時間に間に合う時間までで、土曜日のみ出勤可」と転職に対して条件を付けていました。
履歴書にもきっちり書いて、面接でそれでも良いか聞いて、お互い納得して働かせていただくことになったのですが。
そんなことはなく。
長時間労働とパワハラによって身体を壊す人が続出している部署でした。
比較的仕事ができる方が多くて、どんどん効率よく仕事を短時間で納められるようになった結果、社長が欲を出して新しい仕事を詰め込んでくるという感じでして。
残業しないように仕事を納めれば納めるほど、仕事が増えて残業が増えるという悪循環。
うちは設計から施工まですべて従業員でやっているので、経費はゼロ
が、社長の営業文句でした。
そんなわけ、あるかーい!!!
それでも頑張らなくちゃいけないのかな・・・と思っていたのですが。
同じく身体を壊した先輩社員に、このままだと身体を壊すから(社長から)逃げた方が良いと言っていただいて。
ダメもとで転職活動再開。
引き止められる際に、給与は過去最高額まで提示していただきましたが、転職しました。
7か所目:現在の職場
今は設計と積算という仕事をしています。
法律とかまだまだ勉強中ですが、何とかまわりの方の力をお借りして仕事をしています。
冒頭に書いたように、ここも長時間労働です。
残業は80時間とか100時間超えることもザラです。
でも、納期に間に合って、なおかつきちんと納得してもらえる結果を出していれば、急な休みも中抜けも、何も言われません。
場合によっては在宅で仕事をするときもあります。
残業も自宅で朝や夜中の好きな時間にやっているので、無理やり拘束されているという感覚は薄いです。
いや、残業するのはいやなんですよ?
繁忙期はそれこそ本当に体に不調が出るくらいしんどかったりするのですが・・・。
それでも、自分の仕事として自主的に残業をするのと、圧を掛けられて強制的に残業をするのとでは私の中では違うようです。
それでも、ある程度自分で時間を調整して好きに仕事ができる状態が、私にとっては気持ち的には楽だと感じています。
シングルマザーの働きにくさ
私も、シングルマザーならではの働きにくさはゼロではありません。
休む時の心理的負担とか、子どもへの申し訳なさとか、自分に何かあった時のことを考えると無性に走り出したくなったりとか・・・。
ですが、正直言ってシングルじゃない人に本当の意味での生き辛さは理解してもらえません。
本来、仕事をする上で「シングルマザーであること」は関係ないはずなんです。
お客様や取引先に「私はシングルマザーなので・・・」なんて言わないですよね。
そういうことなんです。
じゃあなんで仕事に就きにくかったり、働きにくかったりするの?ってことですが。
シンプルに、親がひとりだからです。
働かなくては収入がない。でも、子どもの預け先がないとはたらけない。
この影響がふたり親より生活にダイレクトに響くんですね。だって、ひとりだから。
時々他のワーキングマザーさんたちに「みんないっしょだよ~」といわれますが。
「生活に余裕ができるかどうか」という次元と、「生活ができるかどうか」の次元はとても開きがあると思います。
この違いは低所得者であればあるほど大きいです。
でも、こんなことは、同じ状況にならない限りわかりにくいのは当然なんです。
仕事とお金と育児と生活と。
全てのバランスを自分の思うとおりにするのは難しいですが、今の自分にとっての一番良いバランスは自分で決めるしかありません。
「シングルマザーだからそんなに転職してたらダメ。もっと我慢しなきゃ。」
なんてことも言われることがありますが。
我慢して身体を壊しても自己責任。転職しても自己責任。我慢しろという人が責任を取ってくれるわけではありません。
つまり、選択するのは自分。
その選択が難しいのですけれども・・・。
だからこそ、私の経験がほんのちょびっとでも参考になってくれたら、本当にうれしいです。